北アメリカの太平洋岸北西部(Pacific Northwest: PNW)では、カナダのバンクーバー(Vancouver)、ワシントン州シアトル(Seattle)、オレゴン州ポートランド(Portland)を中心としたカスカディア・メガリージョン(Cascadia Megaregion)が形成されています。現在これらの都市間を移動する場合、自動車、飛行機、高速バス、鉄道などが利用できますが、鉄道は運行本数も少なく自動車や飛行機と比較して所要時間も多くかかるため、主要な移動手段と呼ぶには程遠いものとなっています。PNWでは、1990年代から高速鉄道構想が持ち上がりましたが、実際に行われた設備投資は既存のアムトラック・カスケーズへの振り子型客車の導入などにとどまり、その後長らく大きな進捗のない状況が続いていました。

シアトルのスカイライン(2022年)

この状況を変える転機となったのが、2016年にワシントン州交通局(Washington State Department of Transportation: WSDOT)が中心となって開始した「超高速陸上交通に関する調査(ここでは便宜上カスカディア高速鉄道構想と呼ぶこととします)」となります。本構想では、カスカディア・メガリージョンの中心都市であるバンクーバー〜シアトル〜ポートランド間のおよそ350マイル(約560km)を2時間弱で結ぶことが想定されており、計画が実現すれば新たな雇用の創出、安全性向上、今後更なる悪化が予想される渋滞や住宅価格高騰の抑制、CO2排出量削減といった効果が見込まれています。

カスカディア高速鉄道構想(超高速陸上交通に関する調査)
ポートランドのスカイライン(2022年)

2016年からワシントン州交通局が調査を開始したバンクーバーとポートランドを結ぶカスカディア高速鉄道構想は、正式には「超高速陸上交通に関する調査(Ultra-High-Speed Ground Transportation study)」と呼ばれており、2018年に初期段階の実現可能性調査の最終報告書、2019年にはUHSGTビジネスケース分析(Ultra-High-Speed Ground Transportation Business Case Analysis)が公表されています。なお、この調査にはマイクロソフト社が当初から資金提供しており、2018年からは同社に加えてオレゴン州およびブリティッシュ・コロンビア州も資金提供を行なっています。

Image: UHSGT Framework for the future

これまでに実施された初期段階の調査では、整備方式、駅の設置場所、具体的なルートなどは確定しておらず、整備方式については高速鉄道、超電導リニア、ハイパーループといった整備方法が検討されているほか、設置駅や整備ルートについても複数の案が存在します。以下は、2019年時点におけるカスカディア高速鉄道構想の概要となります。

整備方式高速鉄道、ハイパーループ、超電導リニアを検討中
最高速度220 mph(354km/h)※高速鉄道の場合
建設期間2027〜2034年
開通時期2035年
所要時間(最速列車)バンクーバー〜シアトル:47分※入国審査に要する時間は含まず
シアトル〜ポートランド:58分
運行本数21〜30往復/日(速達列車タイプおよび各駅停車タイプ)
年間輸送人員170万〜310万人
年間収益1億6,000万〜2億5,000万ドル
建設費(2017年予測)240億〜420億ドル(3兆3,000億〜5兆7,000億円)
経済効果3,550億ドル(48兆円)、20万規模の新規雇用創出
CO2削減効果開業後40年間で600万トン
Source: Ultra-High-Speed Ground Transportation Business Case Analysis
カスカディア・メガリージョンの人口および経済規模
主要都市の人口(シアトルおよびポートランドは2017年、バンクーバーは2016年統計)
Image: 2019 UHSGT Business Case Analysis

UHSGTビジネスケース分析によると、カスカディア・メガリージョンの主要都市圏であるバンクーバー、シアトル、ポートランド都市圏の2017年人口はおよそ900万人となっています。最大都市圏は、人口およそ400万人を有するシアトル都市圏で、シアトル市の2010年から2017年の人口増加率はこの規模の都市としては驚異的な約20%となっています。またシアトル都市圏は雇用数についても、マイクロソフト、アマゾン、スターバックス、ボーイング、さらには任天堂の北米本社といった名だたる世界的大企業も集積しているためダントツで多いと言えます。

Image: CASCADIA VISION 2050

さらにカスカディア・ビジョン2050(Cascadia Vision 2050)によると、カスカディア・メガリージョン全体の人口は、2050年には1,200〜1,300万人規模まで増加し、域内総生産も1兆5,000億ドル(約200兆円)規模になると予想されています。

バンクーバーのスカイライン(2022年)
バンクーバー・シアトル・ポートランド間の移動手段の現状
Image: Ultra-High-Speed Ground Transportation Business Case Analysis

UHSGTビジネスケース分析では、バンクーバー〜ポートランド間のPNW鉄道回廊(Pacific Northwest Rail Corridor)に位置する各都市間の移動で最も需要が高いのはシアトル〜ポートランド間となっています。また各移動手段のシェアは、利便性が良い自動車が最も高く64%となっとおり、次いで所要時間が最も短い飛行機が19%、格安料金で利用できる高速バスが11%、そして現状では利便性、料金、所要時間と全てにおいて劣っている鉄道が6%という結果になっています。

自動車

渋滞がない場合の自動車による都市間移動の所要時間は、バンクーバー〜シアトル間が2時30間分、シアトル〜ポートランド間が2時55間分となっています。なお、バンクーバー〜シアトル間では国境をこえるための入国審査が必要となります。

区間距離平均所要時間*
シアトル〜ポートランド177 miles(285 km)2:55
シアトル〜バンクーバー157 miles(253 km)
2:30**
ポートランド〜バンクーバー334 miles (538 km)5:25**
*渋滞がないと想定した場合
**入国審査に要する時間は含まず
Source: 2019 UHSGT Business Case Analysis
飛行機

シアトル、バンクーバー、ポートランドの各都市を結ぶ航空便は、主にアラスカ航空、デルタ航空、エアカナダの3社によって運行されています。このうち最も需要が高いシアトル〜ポートランド線は、季節変動はあるものの、ボーイング737(150席程度)やリージョナルジェットクラス(75席程度)の機材によって1日24便(およそ2,100席)が運行されています。

区間距離平均飛行時間運行便数**運行会社主な使用機材
シアトル〜ポートランド119 miles
(192 km)
0:5024往復アラスカ航空
デルタ航空
737、A320、リージョナルジェット
シアトル〜バンクーバー130 mile
(209 km)
0:5517往復アラスカ航空
デルタ航空
エアカナダ
リージョナルジェット
ポートランド〜バンクーバー249 mile
(400 km)
1:155往復エアカナダリージョナルジェット
**2018年の平均運行実績
Source: 2019 UHSGT Business Case Analysis
高速バス
Image: FlixBus

シアトル〜ポートランド、シアトル〜バンクーバー、ポートランド〜バンクーバーといった区間で複数のバス会社(Greyhound、FlixBus、Bolt Bus、Quick Shuttleなど)が高速バス路線を運行しています。所要時間については鉄道とほぼ同じですが、運行本数は鉄道よりも多く料金も格安となっているため、シェアは鉄道よりも高くなっています。

区間距離平均所要時間運行本数
シアトル〜ポートランド173 miles
(278 km)
3:4011往復
シアトル〜バンクーバー141 miles
(227 km)
4:10*12往復
ポートランド〜バンクーバー314 miles
(505 km)
8:15*5往復
2018年の運行実績
*入国審査の時間を含む
Source: 2019 UHSGT Business Case Analysis
アムトラック・カスケーズ(鉄道)
ポートランドユニオンステーションで発車を待つタルゴ8充当のアムトラック・カスケーズ

鉄道については、バンクーバー〜シアトル〜ポートランド〜ユージーン(Eugene)を結ぶアムトラックのインターシティ列車「カスケーズ(Cascades)」が運行されており、バンクーバー〜シアトル間を約4時間30分、シアトル〜ポートランド間を約3時間40分で結んでいます。パンデミック前は最も本数の多いシアトル〜ポートランド間で1日6往復が運転されていましたが、現在は3往復となっています。なおカスケーズには、設計最高速度200km/hにも対応したスペインの振り子式車両「タルゴ8(Talgo 8)」客車がアムトラックで唯一導入されていますが、信号設備などの関係から最高速度は130km/h程度にとどまっています。

区間距離平均所要時間運行本数
シアトル〜ポートランド177 miles
(285 km)
3:406往復
シアトル〜バンクーバー157 miles
(253 km)
4:30*2往復
ポートランド〜バンクーバー334 miles
(538 km)
8:10*1往復
2018年の運行実績
*入国審査の時間を含む
Source: 2019 UHSGT Business Case Analysis
高速鉄道が実現した場合の時間短縮効果およびシェア
*上記所要時間は空港および駅までの移動時間30分、空港でのセキュリティーチェックなどに要する時間60分、入国審査にかかる時間30分を加算されたもの
Image: Ultra-High-Speed Ground Transportation Business Case Analysis

仮にカスカディア高速鉄道構想がフル規格の高速鉄道として実現した場合、各都市間の移動にかかる所要時間が、飛行機と比較して1時間以上、自動車と比較するとおよそ半分となり、ビジネスケース分析の予測では、2040年時点の高速鉄道のシェアは主に飛行機および自動車からのシフトによって12〜20%となると見込まれています。

2040年時点のカスカディア高速鉄道のシェア(低需要シナリオ
Image: Ultra-High-Speed Ground Transportation Business Case Analysis
2040年時点のカスカディア高速鉄道のシェア(高需要シナリオ
Image: Ultra-High-Speed Ground Transportation Business Case Analysis
建設ルート案
Image: Ultra-High-Speed Ground Transportation Business Case Analysis

建設ルートについては費用対効果を分析するために以下の9つルート案が検討されています。どの案もバンクーバーとポートランドを結ぶ点は同じですが、1A〜1E案ではシアトルのターミナルをダウンタウンに整備、2A〜2C案はシアトルダウンタウンは通らずにシータック空港近くのタックウィラ(Tukwila)または衛生都市であるベルビュー(Bellevue)/レドモンド(Redmond)付近にターミナルを分散、3案は2A〜2C案をベースにポートランド空港およびバンクーバーで空港にも直通させる案となっています。

ルート案ごとに検討されている整備駅の一覧
Image: Ultra-High-Speed Ground Transportation Business Case Analysis
運行パターン

想定されている運行パターンは、終日運行の各駅停車タイプに加え、ラッシュ時のみ運行の速達列車タイプを合わせて21〜30往復となります。以下は、ビジネスケース分析で検討された案の中で最も需要が高いとされる1D案における運行パターンです。日本の新幹線で例えると上越新幹線の東京〜新潟間と同程度の所要時間および運行本数と言えます。

Image: Ultra-High-Speed Ground Transportation Business Case Analysis

列車の運行時間は朝5時から夜11時までで、ラッシュ時に運行される速達列車タイプが9〜13往復、各駅停車タイプが12〜17往復の想定となっています。

Image: Ultra-High-Speed Ground Transportation Business Case Analysis
PNWにおけるこれまでの高速鉄道に関する動き
連邦政府による高速鉄道回廊の指定

PNWにおける高速鉄道計画は、「1991年インターモーダル陸上輸送効率化法(Intermodal Surface Transportation Efficiency Act: ISTEA)」において最大5つの高速鉄道回廊の指定を要求されたことを受け、アメリカ連邦鉄道局(Federal Railroad Administration: FRA)が発表したのが始まりとなります。なおその後に制定された「21世紀に向けた交通平等法(Transportation Equity Act for the 21st Century)」を受けて、現在は以下のとおり全米で合計11の高速鉄道回廊が指定されています。

アメリカ全土で指定されている高速鉄道回廊(赤色の線が計画されている高速鉄道回廊)
Image: High-Speed Rail Strategic Plan

ただ、これら連邦政府による高速鉄道回廊の指定を受けているもののうち、実際に時速300km以上の走行を想定した高速鉄道プロジェクトとして着工まで至っているものはカリフォルニア高速鉄道のみとなり、その他の高速鉄道回廊については、グローバルスタンダードとしての高速鉄道と呼ぶには程遠い設備投資にとどまっており、アメリカにおける高速鉄道実現の難しさが伺えます。PNWの計画については、アムトラックの運行する都市間列車「カスケーズ」への振り子型客車「タルゴ」の導入や、オバマ大統領時代に成立した「2009年アメリカ復興・再投資法(American Recovery and Reinvestment Act of 2009: ARRA)」からの補助金によってタコマ近郊の短絡線「Point Defiance Bypass」の整備などは実施されましたが、最高速度は依然として時速79マイル(約130km)程度となっています。

Source: FRA

今後の予定
Image: UHSGT Framework for the future

現在、カスカディア高速鉄道構想はプロジェクト立ち上げ段階にありますが、2020年には今後の枠組み設定の方向性などを示した報告書(2020 Framework for the Future)がまとめられ、2021年11月にはワシントン州、ブリティッシュコロンビア州、オレゴン州の州知事らによって、カスカディア高速鉄道構想を支持する覚書(Memorandum of Understanding: MoU)に署名がされています。これを受けて、今後はカリフォルニア高速鉄道局(California High-Speed Rail Authority)のような組織を設置、超党派によるインフラ投資・雇用法などを活用した資金調達戦略、整備方法、建設ルートなどの更なる絞り込みが行われる予定で、2023年6月までに報告書がまとめられる予定です。その後はプロジェクト開発段階へと移行し、環境アセスメントなどが実施されるものと思われます。

Source: WSDOT

※1米ドル=138円で計算

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