北アメリカの太平洋岸北西部(Pacific Northwest: PNW)では、カナダのバンクーバー(Vancouver)、ワシントン州シアトル(Seattle)、オレゴン州ポートランド(Portland)を中心としたカスカディア・メガリージョン(Cascadia Megaregion)が形成されています。現在これらの都市間を移動する場合、自動車、飛行機、高速バス、鉄道などが利用できますが、鉄道は運行本数も少なく自動車や飛行機と比較して所要時間も多くかかるため、主要な移動手段と呼ぶには程遠いものとなっています。PNWでは、1990年代から高速鉄道構想が持ち上がりましたが、実際に行われた設備投資は既存のアムトラック・カスケーズへの振り子型客車の導入などにとどまり、その後長らく大きな進捗のない状況が続いていました。
この状況を変える転機となったのが、2016年にワシントン州交通局(Washington State Department of Transportation: WSDOT)が中心となって開始した「超高速陸上交通に関する調査(ここでは便宜上カスカディア高速鉄道構想と呼ぶこととします)」となります。本構想では、カスカディア・メガリージョンの中心都市であるバンクーバー〜シアトル〜ポートランド間のおよそ350マイル(約560km)を2時間弱で結ぶことが想定されており、計画が実現すれば新たな雇用の創出、安全性向上、今後更なる悪化が予想される渋滞や住宅価格高騰の抑制、CO2排出量削減といった効果が見込まれています。
※WSDOTなどが調査を進めている構想以外にも高速鉄道構想を検討している団体がありますが、ここではWSDOTによる調査についてまとめています。
カスカディア高速鉄道構想(超高速陸上交通に関する調査)
2016年からワシントン州交通局が調査を開始したバンクーバーとポートランドを結ぶカスカディア高速鉄道構想は、正式には「超高速陸上交通に関する調査(Ultra-High-Speed Ground Transportation study)」と呼ばれており、2018年に初期段階の実現可能性調査の最終報告書、2019年にはUHSGTビジネスケース分析(Ultra-High-Speed Ground Transportation Business Case Analysis)が公表されています。なお、この調査にはマイクロソフト社が当初から資金提供しており、2018年からは同社に加えてオレゴン州およびブリティッシュ・コロンビア州も資金提供を行なっています。
これまでに実施された初期段階の調査では、整備方式、駅の設置場所、具体的なルートなどは確定しておらず、整備方式については高速鉄道、超電導リニア、ハイパーループといった整備方法が検討されているほか、設置駅や整備ルートについても複数の案が存在します。以下は、2019年時点におけるカスカディア高速鉄道構想の概要となります。
整備方式 | 高速鉄道、ハイパーループ、超電導リニアを検討中 |
最高速度 | 220 mph(354km/h)※高速鉄道の場合 |
建設期間 | 2027〜2034年 |
開通時期 | 2035年 |
所要時間(最速列車) | バンクーバー〜シアトル:47分※入国審査に要する時間は含まず シアトル〜ポートランド:58分 |
運行本数 | 21〜30往復/日(速達列車タイプおよび各駅停車タイプ) |
年間輸送人員 | 170万〜310万人 |
年間収益 | 1億6,000万〜2億5,000万ドル |
建設費(2017年予測) | 240億〜420億ドル(3兆3,000億〜5兆7,000億円) |
経済効果 | 3,550億ドル(48兆円)、20万規模の新規雇用創出 |
CO2削減効果 | 開業後40年間で600万トン |
カスカディア・メガリージョンの人口および経済規模
Image: 2019 UHSGT Business Case Analysis
UHSGTビジネスケース分析によると、カスカディア・メガリージョンの主要都市圏であるバンクーバー、シアトル、ポートランド都市圏の2017年人口はおよそ900万人となっています。最大都市圏は、人口およそ400万人を有するシアトル都市圏で、シアトル市の2010年から2017年の人口増加率はこの規模の都市としては驚異的な約20%となっています。またシアトル都市圏は雇用数についても、マイクロソフト、アマゾン、スターバックス、ボーイング、さらには任天堂の北米本社といった名だたる世界的大企業も集積しているためダントツで多いと言えます。
さらにカスカディア・ビジョン2050(Cascadia Vision 2050)によると、カスカディア・メガリージョン全体の人口は、2050年には1,200〜1,300万人規模まで増加し、域内総生産も1兆5,000億ドル(約200兆円)規模になると予想されています。
バンクーバー・シアトル・ポートランド間の移動手段の現状
UHSGTビジネスケース分析では、バンクーバー〜ポートランド間のPNW鉄道回廊(Pacific Northwest Rail Corridor)に位置する各都市間の移動で最も需要が高いのはシアトル〜ポートランド間となっています。また各移動手段のシェアは、利便性が良い自動車が最も高く64%となっとおり、次いで所要時間が最も短い飛行機が19%、格安料金で利用できる高速バスが11%、そして現状では利便性、料金、所要時間と全てにおいて劣っている鉄道が6%という結果になっています。
自動車
渋滞がない場合の自動車による都市間移動の所要時間は、バンクーバー〜シアトル間が2時30間分、シアトル〜ポートランド間が2時55間分となっています。なお、バンクーバー〜シアトル間では国境をこえるための入国審査が必要となります。
区間 | 距離 | 平均所要時間* |
---|---|---|
シアトル〜ポートランド | 177 miles(285 km) | 2:55 |
シアトル〜バンクーバー | 157 miles(253 km) | 2:30** |
ポートランド〜バンクーバー | 334 miles (538 km) | 5:25** |
**入国審査に要する時間は含まず
Source: 2019 UHSGT Business Case Analysis
飛行機
シアトル、バンクーバー、ポートランドの各都市を結ぶ航空便は、主にアラスカ航空、デルタ航空、エアカナダの3社によって運行されています。このうち最も需要が高いシアトル〜ポートランド線は、季節変動はあるものの、ボーイング737(150席程度)やリージョナルジェットクラス(75席程度)の機材によって1日24便(およそ2,100席)が運行されています。
区間 | 距離 | 平均飛行時間 | 運行便数** | 運行会社 | 主な使用機材 |
---|---|---|---|---|---|
シアトル〜ポートランド | 119 miles (192 km) | 0:50 | 24往復 | アラスカ航空 デルタ航空 | 737、A320、リージョナルジェット |
シアトル〜バンクーバー | 130 mile (209 km) | 0:55 | 17往復 | アラスカ航空 デルタ航空 エアカナダ | リージョナルジェット |
ポートランド〜バンクーバー | 249 mile (400 km) | 1:15 | 5往復 | エアカナダ | リージョナルジェット |
Source: 2019 UHSGT Business Case Analysis
高速バス
シアトル〜ポートランド、シアトル〜バンクーバー、ポートランド〜バンクーバーといった区間で複数のバス会社(Greyhound、FlixBus、Bolt Bus、Quick Shuttleなど)が高速バス路線を運行しています。所要時間については鉄道とほぼ同じですが、運行本数は鉄道よりも多く料金も格安となっているため、シェアは鉄道よりも高くなっています。
区間 | 距離 | 平均所要時間 | 運行本数 |
---|---|---|---|
シアトル〜ポートランド | 173 miles (278 km) | 3:40 | 11往復 |
シアトル〜バンクーバー | 141 miles (227 km) | 4:10* | 12往復 |
ポートランド〜バンクーバー | 314 miles (505 km) | 8:15* | 5往復 |
*入国審査の時間を含む
Source: 2019 UHSGT Business Case Analysis
アムトラック・カスケーズ(鉄道)
鉄道については、バンクーバー〜シアトル〜ポートランド〜ユージーン(Eugene)を結ぶアムトラックのインターシティ列車「カスケーズ(Cascades)」が運行されており、バンクーバー〜シアトル間を約4時間30分、シアトル〜ポートランド間を約3時間40分で結んでいます。パンデミック前は最も本数の多いシアトル〜ポートランド間で1日6往復が運転されていましたが、現在は3往復となっています。なおカスケーズには、設計最高速度200km/hにも対応したスペインの振り子式車両「タルゴ8(Talgo 8)」客車がアムトラックで唯一導入されていますが、信号設備などの関係から最高速度は130km/h程度にとどまっています。
区間 | 距離 | 平均所要時間 | 運行本数 |
---|---|---|---|
シアトル〜ポートランド | 177 miles (285 km) | 3:40 | 6往復 |
シアトル〜バンクーバー | 157 miles (253 km) | 4:30* | 2往復 |
ポートランド〜バンクーバー | 334 miles (538 km) | 8:10* | 1往復 |
*入国審査の時間を含む
Source: 2019 UHSGT Business Case Analysis
高速鉄道が実現した場合の時間短縮効果およびシェア
Image: Ultra-High-Speed Ground Transportation Business Case Analysis
仮にカスカディア高速鉄道構想がフル規格の高速鉄道として実現した場合、各都市間の移動にかかる所要時間が、飛行機と比較して1時間以上、自動車と比較するとおよそ半分となり、ビジネスケース分析の予測では、2040年時点の高速鉄道のシェアは主に飛行機および自動車からのシフトによって12〜20%となると見込まれています。
Image: Ultra-High-Speed Ground Transportation Business Case Analysis
Image: Ultra-High-Speed Ground Transportation Business Case Analysis
建設ルート案
建設ルートについては費用対効果を分析するために以下の9つルート案が検討されています。どの案もバンクーバーとポートランドを結ぶ点は同じですが、1A〜1E案ではシアトルのターミナルをダウンタウンに整備、2A〜2C案はシアトルダウンタウンは通らずにシータック空港近くのタックウィラ(Tukwila)または衛生都市であるベルビュー(Bellevue)/レドモンド(Redmond)付近にターミナルを分散、3案は2A〜2C案をベースにポートランド空港およびバンクーバーで空港にも直通させる案となっています。
Image: Ultra-High-Speed Ground Transportation Business Case Analysis
運行パターン
想定されている運行パターンは、終日運行の各駅停車タイプに加え、ラッシュ時のみ運行の速達列車タイプを合わせて21〜30往復となります。以下は、ビジネスケース分析で検討された案の中で最も需要が高いとされる1D案における運行パターンです。日本の新幹線で例えると上越新幹線の東京〜新潟間と同程度の所要時間および運行本数と言えます。
列車の運行時間は朝5時から夜11時までで、ラッシュ時に運行される速達列車タイプが9〜13往復、各駅停車タイプが12〜17往復の想定となっています。
PNWにおけるこれまでの高速鉄道に関する動き
連邦政府による高速鉄道回廊の指定
PNWにおける高速鉄道計画は、「1991年インターモーダル陸上輸送効率化法(Intermodal Surface Transportation Efficiency Act: ISTEA)」において最大5つの高速鉄道回廊の指定を要求されたことを受け、アメリカ連邦鉄道局(Federal Railroad Administration: FRA)が発表したのが始まりとなります。なおその後に制定された「21世紀に向けた交通平等法(Transportation Equity Act for the 21st Century)」を受けて、現在は以下のとおり全米で合計11の高速鉄道回廊が指定されています。
Image: High-Speed Rail Strategic Plan
ただ、これら連邦政府による高速鉄道回廊の指定を受けているもののうち、実際に時速300km以上の走行を想定した高速鉄道プロジェクトとして着工まで至っているものはカリフォルニア高速鉄道のみとなり、その他の高速鉄道回廊については、グローバルスタンダードとしての高速鉄道と呼ぶには程遠い設備投資にとどまっており、アメリカにおける高速鉄道実現の難しさが伺えます。PNWの計画については、アムトラックの運行する都市間列車「カスケーズ」への振り子型客車「タルゴ」の導入や、オバマ大統領時代に成立した「2009年アメリカ復興・再投資法(American Recovery and Reinvestment Act of 2009: ARRA)」からの補助金によってタコマ近郊の短絡線「Point Defiance Bypass」の整備などは実施されましたが、最高速度は依然として時速79マイル(約130km)程度となっています。
Source: FRA
今後の予定
現在、カスカディア高速鉄道構想はプロジェクト立ち上げ段階にありますが、2020年には今後の枠組み設定の方向性などを示した報告書(2020 Framework for the Future)がまとめられ、2021年11月にはワシントン州、ブリティッシュコロンビア州、オレゴン州の州知事らによって、カスカディア高速鉄道構想を支持する覚書(Memorandum of Understanding: MoU)に署名がされています。これを受けて、今後はカリフォルニア高速鉄道局(California High-Speed Rail Authority)のような組織を設置、超党派によるインフラ投資・雇用法などを活用した資金調達戦略、整備方法、建設ルートなどの更なる絞り込みが行われる予定で、2023年6月までに報告書がまとめられる予定です。その後はプロジェクト開発段階へと移行し、環境アセスメントなどが実施されるものと思われます。
Source: WSDOT
※1米ドル=138円で計算
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